運がいいと思うと、本当に運がいいことが起きる
こんにちは、池田大輔です。
前回、「運がいいかどうかは自分で決めること」というブログを書きました。
実際に、運がいいと思うかどうかは人それぞれの状況によって変わるのです。
例えば、大抵の人は、大事な日に天候が雨模様だと運がないなって感じます。
ただ、これが雨が全く降らない地域の人だったらどうでしょう。
農作物の管理をする農民だったら、喜ぶと思います。
このように、運は自分の意識次第なのです。
そして、ここからが重要な話になります。
自分が運がいいと思って生きていると、本当に運がいいことが起きてくるのです。
例えば、コインの表が出る確率は、科学的に考察すれば2分の1です。
ただ、実際に投げてみると、そうそう2分の1にはならないのです。
そして、例えば、自分が表が出ることを意識しながら投げていると、確率は2分の1なのに表の確率が高くなるのです。
古代の日本では雨乞いという儀式が行われていました。
これは、農民がお天道様に雨が降っていただけるように、祈願することでした。
このように、自分が運がいいと意識していると、それが起きやすくなるのです。
運が良いか悪いかは、自分が決めること
こんにちは、池田大輔です。
本日、私は35歳になりました。
35歳を迎えることができて、私は光栄です。
私は運がいいと思っています。
宝くじに当たったわけではありません。
35歳まで生きてこれたからです。
現在、人生は100年時代と言われています。
100年時代だとするならば、約3分の1が過ぎました。
「35歳で運がいいなんて言ったら、変だよ。まだまだ若いんだから。」と言われそうです。
しかし、35歳まで、絶対生きていられる保証はどこにもありません。
突然の病や事故も起こらないとも限らないのです。
運がいいと思うか、よくないと思うのか、結局は自分で決めることなのです。
1円玉を拾っても運がいいと思う人は少ないでしょう。
しかし、1万円札を拾ったら飛び上がって喜ぶでしょう。
しかし、拾った人物が億万長者だとしたら、同じくらいに喜ぶでしょうか。
もしかすると、1円玉感覚と同じかもしれないのです。
つまり、運がいいと思うかどうかは人それぞれであり、自分で感じ取るものなのです。
ただし、この世の中には面白い法則があって、いつも私は運がいいと思って生きていると、更に運がいいことが起きてくるのです。
それなら、取るに足らないことでも私は運がいいと思う習慣をつけた方が得策と言えるでしょう。
お陰様で生きるということ
こんにちは、池田大輔です。
久しぶりにブログを更新します。
人は、ともすれば自分の力のみで生きていると思う傾向があります。
何を隠そう、私もそうでした。
私は、私一人の力で生きてきたと思っていました。
うっかりすると、今もそう思ってしまう時もあります。
そんな時は、傲慢な心になっていないか、自分自身を内観しています。
私に限らず、世の中の全ての人類や生物は、一人では生きていけません。
誰一人として一人で生きているわけではなく、お互いに支え、支えられながら生きています。
「お陰様で生きる。」
私はこの言葉が好きになりました。
この言葉は、愛知県福厳寺住職の大愚和尚様も、自身のユーチューブ動画において「非常に好きな言葉の一つです。」と述べておられます。
お陰様とは、その名の通り、影のことです。
ある日、非常に暑い日がありました。
厳しい陽射しを避けるため、木の影で休み、猛暑を凌いだ時に、普段なら全く意識しない影でさえも役に立つことがあると、教訓を得たことがこの言葉の由来のようです。
これは影に限らず、全てにおいて言えることだと思います。
私はアイスコーヒーが好きなのですが、このコーヒーを一杯飲むためだけに、日本から地球の裏側にあるブラジルまで豆を取りに行っている業者さんがいるということです。
コーヒー一杯にどれだけの人やエネルギーが関わっていることでしょう。
それをたったの数百円で頂くことができるのです。
非常にありがたいことです。
こうして考えると、あらゆることに感謝することができます。
コーヒーはもちろんのこと、影や空気、太陽、自然、人、動物など、万物の全てがあって初めて私たちは生きていることができるのだと思います。
私は宇宙や地球、万物の全てに感謝します。
死にたくなったら美味しいご飯を食べて熟睡する
こんにちは、池田大輔です。
こうして今日もブログを綴っていられるということは、私は生きているということです。
あなたも今、私のブログを読んでいるなら生きているということです。
私は2019年の7月10日で35歳になります。
まだ35歳と思うのか、もう35歳と思うのか、感じ方は人それぞれでしょう。
ただ、35年間生きてきて順風満帆だった訳ではありません。
むしろ逆です。
生きていれば辛いこともあります。
幸い、自殺したいと思うほどのことはありませんでした。
しかし、それは今のところです。
未来はどうなるのかわからないのです。
私から皆さんに伝えたいことがあります。
それは、もし、あなたの人生で辛いことや苦しいことがあったら、まずは自分が一番美味しいと思うご飯を食べてください。
そして、たくさん眠ってください。
それだけで問題は解決しないかもしれないです。
しかし、自分の体と心を休めることは大切なことなのです。
世の中には、ブラック企業や厳しい部活動で心が折れて自死してしまう人もいます。
もし、自分が追い詰められている時は、決して無理をしないことです。
自死するくらいなら、迷わずその環境から逃げましょう。
私たちは自死するために、この世に生まれてきたわけではないのですから。
私の安全運転-切符を切られたら神様からのお告げ
こんにちは、池田大輔です。
本日から7月です。
2019年も半分過ぎました。
ブログを開始してから3カ月経ちました。
月日の経過は早いものです。
さて、久しぶりに私の安全運転ブログを書こうと思います。
皆さんは、違反をして警察に取り締まりを受けたことはありますか?
切符を切られ、点数を加算されてしまったことはありますか?
正直に白状すると、私も違反をしたことがあります。
お恥ずかしながら、一回や二回ではありません。
何回かあります。
違反項目は機会があれば、ブログで話していきます。
ところで、皆さんは、もし、自分が違反切符を切られたら、どう思いますか?
おそらく、なんて運が悪いんだって思ったり、怒り心頭に発する人もいると思います。
その気持ちは十分にわかります。
なぜなら、当時、私もそう思ったからです。
ただ、今思うと、違反を切られてよかったと思います。
なぜなら、その違反に関しては、二度と受けまいと誓い、さらに安全運転を心がけるようになったからです。
あの違反のおかげで、大きな交通事故もなく、今日まで運転してこれたと思います。
いわば、交通安全の神さまが、気をつけて欲しいと、遣いを送ってきたのだと思います。
人生の目的は幸せに生きること
こんにちは、池田大輔です。
私たちは、人それぞれ異なる人生の目標を持って生きています。
ある人にとっては、東大に入ることが目標であり、またある人にとっては、オリンピックで金メダルを取ることが目標であったりします。
ただ、目標と目的の違いでも説明しましたが、目標は目的を達成させるための手段であり、通過点に過ぎません。
目標の先にある目的を成就させることが人生です。
では、人生の目的とはなんでしょうか。
千田琢哉さんは、「私たちの人生の目的は終わりなき成長である」と述べています。
私はこの文を読んで深いなと思いました。
私は、幸せになることが人生の目的と考えます。
私たちは、なんのために生まれてきたのでしょうか。
なんのために生きているのでしょうか。
苦しむために生まれてきたのでしょうか。
苦しむために生きているのでしょうか。
そんなはずがありません。
私たちは、人生を楽しく生きる為に生きているのです。
今、辛いことがあるなら、無理はしないでください。
もし、死にたいくらいに辛いことや苦しいことがあるなら、即行で避難してください。
そして、直ちに楽しいと思うことをしましょう。
何も難しいことではありません。
例えば、仕事がつらくて大変なら、思い切って辞めたっていいのです。
そんなすぐに辞められないとしても、有給を取って休みましょう。
体調不良と言えば、それ以上何も言われません。
心が悲鳴を上げているのですから、立派な体調不良です。
無理をして、自殺するくらいなら、即刻、その場から逃げましょう。
私もあなたも、私たちは、楽しく幸せに生きる為に、今を生きていることを忘れないでください。
せっかく奇跡的に授かった命なのですから。
私の安全運転-一時停止に気をつける
こんにちは、池田大輔です。
道路交通法も様々あり、年々改正もされています。
交通規則は非常に増えました。
どれも安全性の向上を目指して施工されています。
たくさんあるうちの一つに、私がとりわけ気をつけている規則があります。
それは、一時停止です。
日本の道路は一時停止の標識や標示が非常に多いです。
それだけ日本の狭い国土を道路と住居に切り分けて作っているのです。
ここで私は「一時停止は完全に止まること」といった模範的な解答を伝えたいわけではありません。
そんなことは誰もがわかっていることです。
それに誰もが教習所で習っています。なぜ一時停止があるかは、その箇所には危険が潜んでいるから、ふと立ち止まって一呼吸おきなさいという交通安全の神様からの啓示です。
実はこれは同じことが人生にも言えるのではないでしょうか。 私たち現代人は、これだけ世の中が便利になってもなお忙しく働いています。 人生とは判断と決断の連続です。 あまり生き急ぐ必要もないと私は思います。 同じように、急いで運転する必要もありません。 急ぐあまり、一時停止を疎かにして、交通事故を起こしては元も子もありません。 一時停止では、一旦タイヤを止めて、一回深呼吸するくらいがちょうどいいのです。