私がしないこと(6)他人と比較しない

こんにちは、池田大輔です。

9月に入り、今年も残すところ3分の1となりました。

8月は一回しかブログを更新していません。

今回も私がしないことを書こうと思います。

私はできるだけ他人と比較しないようにして生きています。

他人は他人であり、私は私です。

比べたところで、私が他人と同じステータスになることはありません。

その逆もまた然りです。

つまり、比べること自体に大きな意味はありません。

もちろん、比べることによって、自分が幸福であると気付かされることはあります。

ただ、今の人類にとって、他人と比較することによって、自分が不幸だと感じてしまう割合が多いです。

例えば、年収や地位、見た目や学力などです。

人は自分と他人を比べて、自分が上なら幸福だと感じてしまう傾向があります。

相対的幸福感です。

それに対して、周りがどうであれ、今の自分が最高であると感じる人もいます。

これは絶対的幸福感です。

友達が180cmの身長で、自分は170cmだとします。

友達が何cmだろうが自分の身長に感謝して幸せを感じることが大切なのです。

私もつい他人と比べて一喜一憂してしまう時がありましたが、今では自分の基準で感じることができるようになりました。

私がしないこと(5)悪口を言わない

こんにちは、池田大輔です。

久しぶりにブログを更新します。

8月になり、猛暑が続いています。

皆さん、夏バテや熱中症は大丈夫でしょうか?

さて、以前、私がしないことをブログにて書きましたが、今回は「悪口を言わない」です。

人はうっかりすると、誰もが愚痴や悪口や不平不満を口にしていると思います。

もちろん、私も以前はしていましたし、気をつけなければ今もしてしまうときがあります。

愚痴や悪口を言うと何が良くないのでしょうか。

まず、単純に、それらを発したところで問題が解決するわけではないということ。

そして、聞いた本人が傷つくこと。

さらに、聞かされた周囲も不快な思いをすること。

そしてなによりも、言った本人が、いずれ言われる側になるということです。

この世の中には、面白いことに、摩訶不思議な法則があるようです。

因果応報・自業自得という言葉があるように、この世では、自分がした行為や発した言葉が、巡り巡ってまた自分に跳ね返ってくるのです。

先人の言葉が示しているように、昔の人は、そのような現象を肌で感じ取っていたのかもしれません。

会社の悪口や不平不満ばかり言っていると、周囲にも噂が広まり、昇進や昇給はしないでしょう。

そして、余計に不平不満が募り、愚痴や悪口を言い続けるという悪循環にはまってしまいます。

最終的には、会社を去ることになったりしてしまいます。

逆に、発する言葉で良い言葉を使っていると、良い言葉や良いことが返ってきます。

普段から、「ありがとう」や感謝の意を伝えていると、人間関係も良くなります。

会社であれば、昇進を果たしたり、ボーナスを弾ませてくれることもあります。

悪口は言った瞬間は気持ちがスッキリします。

ただ、気をつけなければ、ついつい言い続けてしまう癖がついてしまうのです。

もちろん、生きていれば、正直、言いたくなる時もあると思います。

いくら悪口を言うのが良くないからといって、我慢し続けるのも良くありません。

言いたくなったら言ってもいいと思います。

体に溜まった毒を出すようなものです。

ただ、長期化させないことです。

何十年も愚痴や悪口を言い続けてしまうと、確実に人生を良くない方向に進めてしまいます。

毒を抜いたら、さっさと忘れていいのです。

もう体に毒はないのですから。

人は本を読む人と読まない人に分かれていく

こんにちは、池田大輔です。

以前、ブログで「私が好きなこと(2)」にも書きましたが、私は本が好きでよく読みます。

おそらく、現時点で1000冊くらいは読んでいると思います。

私は仕事や人生でつらいことがあり、書店にふらっと立ち寄ってみたところ、心の琴線にふれる本と出会いました。

それ以来、私は本の素晴らしさに気づいて、読書に病み付きになりました。

いつも何か問題にぶち当たる度に、書店に駆け込みました。

本は本当に素晴らしいものです。

何故なら、著者がその本を書き上げるのに何十年とかかったものが、ほんの数千円で読めるのですから。

しかも、セミナーと違い、本ならいつでもどこでも読むことができ、場所を取りません。

さらに、一冊の本を読むと関連書籍が出てきて、さらなる読書欲が沸いてきます。

むしろ読書をすればするほど、「私は知らないことだらけだった」ということを知り、自分がいかに無知な人間であったかを痛感させられます。

それが、さらなる探究心に火をつけていくのです。

一方で、読書をしない人はとことん読書をしません。

読書をしない人は、基本的に読書が嫌いか、あるいは好きではないのだと思います。

私はブログで「好きなことをしよう」と発信してきたので、もし、あなたが読書を好きでないなら強要するつもりは毛頭ありません。

ただ、これだけは知っておいてもらいたいことが三つあります。

まず一つは、自分が面白いと思う本に、いまだ出会えていないということです。

二つ目は、読書をしないと、単純に知識量が増えていかないということです。

そして、三つ目ですが、これが一番大切なことになります。

それは、少ない知識量のままでは思考する力がつかないことです。

あなたがもし読書が苦手だとしたら、雑誌や漫画やオーディオブック、ユーチューブでも構いません。

何も本で情報を得ることに拘る必要はありません。

自分がいま一番、楽しいと思うコンテンツやジャンル、テーマの情報を入手してみてください。

どんな些細なことでも構いません。

そこからあなたが興味を注がれたテーマを拡張していくことができます。

反対に、読書をしない人は、自分という一人の人生の経験値でしか物事を考えることができません。

これは、明らかに非常に視野が狭いままです。

サンプル数が一つでは、無理もないでしょう。

そして、読書をしない人は、「人生はどうせこんなものだ」と結論付けて、本当に人生の幕を閉じていくことになります。

あなたは、一度しかない今世をどう生きていきたいですか?

どうせなら、金魚鉢の中で終えるのではなく、大海原に出て冒険してみたくないですか?

今を生きる

突然ですが、あなたは「いつを生きていますか?」と訊かれたら、なんと答えますか?

大抵の人は、「今を生きている。」と答えるでしょう。

もちろん、人は今を生きています。

私も今を生きています。

ただ、本当の意味で「今」を生きている人は、意外と少ないのではないかと私は思うのです。

こんにちは、池田大輔です。

7月も終わろうとしています。

今年は梅雨が長いですね。

昨年の夏は、私の記憶では梅雨明けが早く、6月中には明けていたと記憶しています。

来年はどうなるのでしょうか。

来年は東京五輪が控えています。

雨が降り続くと競技によっては影響がありますので、できれば早めに梅雨が明けて欲しいです。

このように、人は過ぎた過去を振り返っては一喜一憂し、また、まだ来ぬ未来に対して過ぎたる心配や懸念を抱きがちです。

私もかつては過去や未来にかなり縛られていました。

厳密には今でも考えることはあります。

しかし、以前に比べたら過去や未来を考えることはなくなりました。

当然のことながら、過ぎた過去は変えることはできません。

ただし、考え方を変えることはできます。

例えば、友人に貸したお金を返してもらえず絶縁してしまったとします。

騙されたと思い、非常に後悔したところでお金は返ってきません。

おそらく、友人は最初から返す気などなかったのでしょう。

こういう時は、考え方を変えることです。

確かに、借金を踏み倒されたら、人は誰でも腹が立ちます。

貸したお金が多額なほど、憎悪を念も増すでしょう。

しかし、その友人は藁をもすがる思いで食いつなぐために必死だったのかもしれないです。

「仕方ない、ここは貧困者だと思って彼に寄付してあげよう。ただし、一回きりにしよう。」

このように、解釈を変えるだけで、後悔や怨みに陥っていたつらい過去の出来事も、よい過去に変えることができます。

一時の感情は爆発させていいと思います。

人間には感情というものがあるからです。

ただし、何十年も過去の出来事を執念深く持ち込まないことです。

執着を手放すのです。

人生で大切なことは、いつも今なのです。

過去や未来のことなど気にしないで、「今ここ」を楽しく生きていきましょう。

私は「今」を生きています。

あなたも共に「今」を生きましょう。

使命とは使う命

こんにちは、池田大輔です。

前回までのブログで、宿命と運命について書きました。

軽くおさらいすると、宿命とは生まれる前に、おおよそのシナリオを書いて生まれてくることです。

時代や国、両親、性別、顔だちなど、生まれた段階で変えることができないものをいいます。

そして、運命とは自分自身の選択や行動によって変えることができることです。

仮に、生まれてくる前に交通事故で早死にする宿命だったとしても、自分がたまたま入社した会社が安全運転に滅法厳しくて、おかげで安全運転に目覚めて長生きしたりします。

そして、使命とは命を使うことです。

つまり、生まれてきたことには何か意味があるということです。

その意味を探して生きることが人生と言えます。

会社もただ利益を出すだけでなくて、社会に貢献することを使命として掲げている会社も多いです。

例えば、私が以前働いていた会社のミッションは、「互いに支え合い、安心して暮らせる埼玉をつくります。」でした。

今でも、非常に素晴らしいミッションだと思います。

会社にも使命があるように、私たち一人ひとりにも使命があるのです。

ただ、使命の厄介なところは、簡単には見つからない点です。

誰かが言いに来てくれる訳でもありません。

自分で生きていきながら、気づくしかないのです。

使命を知るヒントがあります。

それは、自分が小さな頃から、心から好きだったことです。

そして、今も好きなことやワクワクすることをやることです。

大切なことは、心にある声に耳を傾けることです。

自分の直感を信じましょう。

そして、思い切ってあとは行動するのみです。

そうすれば、必ず、「私はこれをする為に生まれてきたんだ。」と肌で感じる時がきます。

あなたの使命は、なんですか?

運命とは運ぶ命

こんにちは、池田大輔です。

前回のブログでは宿命について書きました。

今回は、運命についてです。

私は、昔は、どちらも同じ意味だと思っていましたが、宿命と運命は意味が異なります。

宿命とは、言わば、変えることができない生まれもったものです。

例えば、憧れのハリウッドスターと全く同じ顔や声になりたいと願っても叶えることはできません。

鳥のように空を飛びたいと思っても、人間で生まれた以上、生身の体で空を飛ぶことはできません。

対して、運命は変えることができます。

例えば、強度のアル中になり、50歳で死ぬ運命だったとしても、本人の決断と行動によって寿命は変わります。

そのままアルコールに依存して生きていくのか、あるいはアルコールから自立して生きていくのかという選択をします。

人との出会いは宿命ですが、その出会いをどう活かしていくかは運命になります。

ただの通行人で終わらせるのか、生涯の盟友になるかは、自分がどう人と向き合うのかによります。

もちろん、相性があるので、自分だけの問題ではどうにもならない場合もあります。

このように、運命とは変えることができるものです。

私も、あなたも、今まで生きてきて、数え切れないくらいの選択と行動をしてきました。

その選択をする度に、今の自分があり、その時選ばなかった進路ではまた別の自分が存在して今に至るのです。

今ある命を無数にある選択と行動によって、次々と運ぶことによって、運命は変わっていくのです。

まさに、運命とは運ぶ命です。

宿命とは宿る命

こんにちは、池田大輔です。

今日は宿命について、ブログを綴りたいと思います。

宿命とは、宿る命と書きます。

その名の通り、命が宿ることを意味します。

宿命は生まれた段階で決められたことであり、決して変えることができないものです。

例えば、生年月日や両親、性別、身体的特徴などです。

ただ、これらは宿る上で、生まれる前にあの世で決めてきたものでもあるようです。

誰をお母さんにして生まれるのか、そして、どこで誰と出会うのか、いつの時代やどこの国に生まれるのかなど、ある程度のシナリオを書いて、生まれてくると言われています。

それが本当かどうかは定かではありませんが、大切なことは、生まれたという奇跡に感謝することです。

生まれてきたということには、何か意味があるのです。

自分の顔や体格、両親など、変えられない自分を愛して、そこで何を学んで生きていくか、考えることが大切なことだと思います。