人が人を指導することはできない

こんにちは、池田大輔です。

私は2019年11月から私の母校である獨協大学バレーボール部のコーチ補佐をさせていただいています。

私のバレーボール人生の中で新たな一歩を歩み始めたことになります。

まず、コーチをするにあたって、私が気をつけている点があります。

それは「人が人を指導することは、本来ならできない」ということです。

これはどういうことかというと、人はそもそも完璧ではありません。

完璧ではない自分を棚に上げて、あれこれと人を指導する資格は本来なら無いと私は思うのです。

例えば、自分だって遅刻することもありながら、人に対して「遅刻はいけない。だから遅刻は二度とするな。」と注意や叱責をしてしまう上司や先輩がいます。

まず、人を注意するからには自分が遅刻しないように気をつけなければなりません。

人に注意しておきながら自分が遅刻していたら、説得力がありません。

だからといって、全く注意をしない訳にもいかないです。

スポーツのコーチングに関しても、バレーボールを指導するコーチが必ずしも全てのプレーを器用にできるとは限りません。

例えば、アタッカーがセッターのようにあらゆるボールに対して質の良いトスを上げることは難しいでしょう。

そもそも、コーチが自分の現役時代に必ずしも選手として優秀だったわけではありません。

つまり、自分は現役時代できないプレーがありながら、選手にそのプレーを指導することは本来なら専門領域から外れていることになります。

自分が現役時代にやっていた、いわゆる根性論による練習メニューをそのまま現代の子供達に押し付けてしまう指導者もいますが、それでは奴隷化させているのとほとんど変わりません。

それで、日本一や世界一になれるなら選手も頑張る気力も出ますが、大抵は嫌々やらされる練習は辛いだけで伸びないものです。

生徒指導と言う言葉があるように、学校で決められた規則や社会の法を犯すような事柄に対しては、注意や指導をすることも必要です。

ただ、善悪の問題なんて国と時代が変われば、一瞬で入れ替わる事もあるのです。

戦国時代は、己れの正義のために、国家間で殺し合いをしていたのですから。

人を指導するとき、私は自分の価値観を押し付けていないか気をつけるようにしています。